【名古屋から愛媛へ移住】西条ブルーベリー農園・寺田さんご夫婦インタビュー(1/4)
2014年10月30日 byアビリティー・センター
生まれは大阪。育ちは名古屋と神戸。
6年前に愛媛県西条市に移住した寺田将人さんと、奥さまの薫さん。
将人さんはブルーベリー農園を、薫さんはとんぼ玉・陶芸教室をしながら、リフォームした古民家で生活を営んでいます。
そんなお二人に、私、四国転職netのコンサルタント・王がインタビューをしてきました。その内容を4回にわたってご紹介したいと思います!
西条市飯岡。
国道から少し山のほうへ進むと「西条ブルーベリー農園」があります。
名古屋にいたときには、よく愛媛に来られていたのですか?
将人さん:帰省で1年に1回、来るか来ないかですよ。
やはり帰ってくるたびに「ここ、いいなぁ」ってかんじはありましたか?
薫さん:私は強く思いましたね。私はすごい田舎の育ちなので。
こういう緑に囲まれたところで育ってるから、いずれはそういうところで暮らしたいなと思っていて。
最初、帰ろうと思ってたのは奥さんのほうなんですか?
そうですね。
僕は定年までやるつもりだったんですよ。それで60になって、こっちで遊んで暮らそうかなと思ってた。
それが会社の買収とか、東京の転勤の話とかもあって、早めたってかんじでした。いいきっかけでもあったんですよ。
なかなか辞めるってきっかけがないですよね。楽しい会社ではあったんですけど。
迷いましたか?
ぜんぜん(笑)25年早まっただけ。迷わなかったですよ。
それよりも東京がいやだった。
大阪は生まれ育ってるし、名古屋もなじみがあるじゃないですか。そこで35にして始めて東京に行くのは、ちょっと苦しいですよね。ストレスが相当かかるだろうなと・・・。
基本的に僕は名古屋にいたときも休みは名古屋の中心部とか行ったことなくて、必ず山か海。田舎のほう、自然の多いほうに足を向ける傾向があったんですよ。
なので余計に東京がいやで。
長い間都会にいたので、もう都会はいいかなと。
都会の人はみんなそうですよ。田舎を求める傾向が強いですよね。
奥さんは不安に思ったりしませんでしたか?
ぜんぜんなかったです。
なんとかやっていけそうでしょ?
家もあるし、私もスーパーでレジでもやればお金にはなるから、二人で暮らしていく分くらいは十分。
それに名古屋で家を建てたいって思ってたので、一応お金は二人で貯めてたんですよ。貯金が少しはあったので特に不安はなかった。
しかも都会の生活に比べると、田舎のほうがお金ってあんまりいらないじゃないですか。だからお金の面では助かるかなって思ってました。
あと、私が「帰ろう!帰ろう!」って推したほうです。
だからぜんぜん不安はなかったですね。楽しみばかりが先にたつかんじで。
こちらに移るまでに、決めてからどれくらいの期間がありましたか?
前の年の8月に初めて建築屋さんに行って・・・なので1年弱ですかね?
お盆にこっちに帰省してたときに住宅フェアをやってて「行ってみる?」なんて軽い気持ちで行ったんですよ。
その頃、名古屋でも家を探してたんです。
いろいろ家をまわってたし、ちょっと興味があったので行ってみて、そのときに「ここをどうにかならないかな?」って話にふっとなって。
ここはずーっと空き家で、天井から雨漏りがして、たらいがいっぱいおいてあるようなお家だったんです。
「これが住めるようになるんだったらいいんじゃない?名古屋で建てるより安いし。」って、そこから急に話が始まって。
この家は古民家再生プロジェクトにお願いしたんですよね?
四電さんのプロジェクトで。古民家をオール電化にして・・・
ガスを使わなくなるから火事がなくなるじゃないですか。古いものも守れるし。そのプロジェクトにのかったかんじで。
ここの完成の見学会を、大工さんと古民家再生プロジェクトさんがやったんです。
そこでチラシを何十万部か織り込んで、それですごい人がいっぱい来てくれて。
3日間くらいで、1000人くらい来られたんですよ。
それですごく助かったのは、私が陶芸のお教室をやり始めたのでそれの宣伝にもなったし、主人のブルーベリーの宣伝にもなったから、結果うちは広告をしなくてもよかったんです。
そのときはもうブルーベリー農園はやっていたのですか?
まだ植えつけてもなかったです。
でもブルーベリーをやるっていうのは記事として載ってたので、すごく助かりました。広告を担当してもらったようなかんじで。
その後も、その古民家再生プロジェクトがらみでこの家をCMに使ってもらったりとか、そういうのがきっかけでTVが来たりして、広告せずに広告がうてたというか。すごくありがたいかんじでしたね。
今回は、移住までのお話を聞かせていただきました。
次回は、ブルーベリー農園のことについてのお話です。お楽しみに!
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