【鬼北町】栃木県からIターン・平野さんインタビュー(1/2)
2015年1月6日 byアビリティー・センター
こんにちは!
今回は栃木から愛媛県鬼北町にIターンした平野さんのインタビューを2回にわたってご紹介いたします!
愛媛県南予地方。松山市から南へ、車で1時間ほど。
高知と愛媛を結ぶ予土線の途中に、鬼北町(きほくちょう)があります。
町内には四万十川の支流である広見川を筆頭に美しい川がいくつも流れ、周囲は鬼ケ城連峰や戸祇御前山などの深山幽谷に囲まれた、自然豊かな山里です。
15年前、栃木県から鬼北町に移住した平野邦彦さん。
10代で「将来は田舎暮らし」と心に決め、全国各地を訪ねて理想の田舎を探されました。そして最高のロケーションをここ鬼北町に見つけ、1999年に夫婦でIターン。
現在は南予地方に戦国時代から伝わるユニークな手漉き和紙「泉貨紙(せんかし)」の保存会会長を務められ、紙漉きをライフワークとしておられます。
平野さんはIターンにて愛媛に来られたそうですが、きっかけは何だったのでしょうか?
私はプログラマーだったんですが、職業寿命が長くないと最初から考えていて。
10代の頃から早期退職して引きこもってやろうと企んでたんです。
漢文の授業で老子とか読んだ時、グッとくるものがあって(笑)。
隠遁生活カッコイイぞ!と。
世を捨て霞を食って暮らすような生活に憧れて。
私は下関の出身で田舎の生活がわからなかったので、大学を休学してちょっと田舎で暮らしてみようと考えて。
バイクで全国を回って住む家を探してた時に、たまたまこの鬼北町の近くで「人が行かん山小屋が荒れて困っちょるけぇ誰か住んでくれたら助かるんじゃがのぉ」みたいな話があって。
四国はみんな優しいですよね。お接待文化。
野宿してるとご飯が来る。違うところでは警察呼ばれる(笑)。
それで水道もない山小屋暮らしを丸1年。
川で洗濯、炊事、桶で水汲んで薪でお風呂炊いて。
暮らしてみて合わなかったらやめちゃえと思ってたんですが、「あ~面白いじゃない」って。いつか絶対しよう、と。
愛媛へ移ろうと決心した決め手は何でしょうか?
私は移住先の条件を最初から絞り込んでいて。
山あり川あり海あり。
家から30分の範囲に1,000mの山、泳げる川、抜群に美しい海。
温暖で食べ物が美味しくて温泉と鉄道があって、冬に1度は積雪。
この条件だと全国に数か所だけ。
最終的に宮崎とここ鬼北町に絞って。たまたま昔住んだここが残るんですね。
東京の就農支援センターで話を聞いたら「脱サラしても誰も助けてくれないけど農業するって言った途端ものすごい助けてくれる」と(笑)。
それで就農を考えて愛媛県庁に行ったら旧広見町(現在の鬼北町)を紹介されて、移住就農支援を受ける広見町の第一号にしていただけたんです。
広見町では営農作物などの指定がない自由度の高い就農が許されたことが決め手でした。
あと、この辺に住んでいた時に近所で綺麗な場所を見つけて「こんなところに住みたいな」と写真を撮ったんです。それから10数年経って鬼北町への移住が決まって、役場から「空き家が見つかりました」って届いた写真が、私が撮った写真と同じ場所で。
―「運命的ですね。」
本当に運命的。「あそこじゃん!」って。
写真を並べてみると、コワイ(笑)。
愛媛に移住することについてご家族はどんな反応でしたか?
結婚する前から「いつか田舎に移住するぞ」とはずっと言っていたので、スムーズでした。
Iターンを考え始めて愛媛に来られるまでにどのくらいの時間がかかりましたか? 苦労したことはありますか?
大学を休学して愛媛の山奥で1年暮らした後、大学に戻って大学院も出て、埼玉の開発系の会社に就職して結婚したのが1989年くらい。
それからは休みになると移住する先を全国で探して。
暖かい場所がよかったので栃木より北には行かなかったですけど、あとで数えてみたら86か所くらい回ってた。
―「お遍路並みですね!」
どういうところに住んだら面白いかも考えつつ10年くらい物色して。移住マニアだったよね。
愛媛に来られる前にどんなお仕事をされていたか教えてください。
バブル期の前後にプログラマーをしていて、最後は公務員で大学の助手をしていました。
現在のお仕事について教えてください。
隣の家のおじいさんに、田舎らしいことしたいんだけど紙漉きとかねえの?って聞いたら「ワシが泉貨紙保存会の会長じゃ」って(笑)。
それで手伝っていたんですが継ぐ人がいないということで、教わって弟子になっちゃって。今は私が会長。
和紙は書道とか水墨画のイメージですけど、あれは上流階級の紙。
泉貨紙は、庶民が生活の中で使う工作紙。ちょっと珍しくて、なんとなくハマって。
―「泉貨紙はどういった使い道が?」
卒業証書の紙に使ってもらってますが、字を書く紙じゃないので。こんなものが泉貨紙本来の姿です。
竹籠が朽ちた部分に泉貨紙を貼って渋で固めてある。渋をきつく塗れば水も汲める。
戦国武将の泉貨がこの紙を開発したのはこういう用途。
昔の人は朽ちたら何度でも貼る。捨てろよいいかげん、って(笑)。
泉貨紙は厚手だから布のように使えて、濡れても簡単には破れない。
昔の用途に戻すなら、服を作るのも泉貨紙の正しい姿のひとつ。
もっと渋で固めたのが、この打ち込み紙。
普通の和紙じゃできない。泉貨紙じゃないとダメ。と言うのは私の考えですけど(笑)。
こんな革っぽい技法は江戸の頃からあったみたい。
泉貨紙が普通の和紙と何が違うかと言うと、実は2枚が重なってるんです。
1枚の紙を割いて毛羽立ったところへ糊を付けて貼っていく。
何をするにも手数がかかる、気の長い話。やることはいっぱいあってハマると面白いんですけど、生活に困る(笑)。
泉貨紙の商品を開発しようという流れには?
何か作れたらかっこいいねとは言うし色々試作するけど、紙を加工する技術は一朝一夕に出来ないので。
紙の工房だから1次材料として提供したいんだけど、誰かと出会わないと。
―「泉貨紙を加工してくれる人と」
地元にはそういう人がいないので、その手のことがしたいIターンの人が来てくれたらありがたい(笑)。
加工は研究しないと意図通りに出来ないので、酔狂な職人が必要。
そんな人が現れれば紙の材質に対するニーズも生まれるので、工房としては願ったり叶ったりなんですが。
第2回につづく・・・
category / 四国へ移住